夢見が悪くて飛び起きた。
何の夢だったのだろう。覚えていない。
只、手に生々しい感触が残っている。




「きみの  を める  をみた」




落ち着きを取り戻したくてベッドの隣に置かれたサイドボードに腕を伸ばした。
カサリとした渇いた感触と共に、既に空になっていた煙草の箱を握り潰す。
月明かりに照らされて鈍い光を反射させる鈍色の冷たい取っ手を勢い良く引く。
オイルの切れかけたライター、真新しいビニールすら破かれた形跡の無い小さな四角い箱。
ビニールをペリペリと剥いでいく。薄いセロファンを一枚隔てていただけなのに、
外気に晒された箱の中身の何処か焦げ付いた、苦さと清涼感の入り混じった香り。
一本、手に取り咥える。既に何本消化したのかも解らない。
どうせ己の体内に残るものなど何一つ無いのだから、千、万と吸い込んでも同じだった。
カチリカチリとオイルライターの着火部分を何度も何度も擦り合わせる。
漸く橙の焔がゆらりと揺れる。咥えた細い煙草の先端を炎に寄せて、紅く点った。
肺に直接煙ごと取り入れた。スウッと清涼な感覚が肺を焼いていく。
ただただ、紫煙をくゆらせる。室内が真白に覆われていく様子をぼんやりと眺めていた。



視界が白く染まっていく。
見下ろす君の姿。細い首。緑柱石の瞳。
薄い唇が、何かを紡ごうと戦慄いている。
世界が燦々と光溢れる昼下がりの、
明かりに照らされた眩しいほどの君の。

徐々に緋色へと染まっていく。泣き腫らした朱に、蒼が混じる。
夕暮れのような空に似た色の痣が、その彼の首筋に一筋走る。
緩やかに崩壊へと進んで逝く。
ガラガラと音を立てているこの世界は、夢なのか現なのかすら。
妙に現実感の無い浮遊感と共に覚える生々しい手の感触。
君の を締める、僕の 。



「っ………!」

弛緩しきっていた身体が、覚醒へと向かう。
そうだ、彼 は。
思わず記憶を頼りに青の色彩を探した。
自室の扉を開ければ、其処には。

「…ん?どうしたんだ?悪い夢でも見たのか?」
「いや…なんでもない」
「そうか?…まー、いいけどな」

薄暗い部屋に、ぽつり、と一つ揺らめく光が、チカチカと瞬いている。
プシュ、とスチール缶のプルタブが引かれる音。彼が冷蔵庫から取り出したらしい。
二酸化炭素を含んだ飲料が、シュワシュワとした音を立てている。
整頓された生活感の無い部屋にまるでショーケースのように置かれている戸棚の中からグラスを取り出した。
コトリと木製の卓に二つ、月光と炎を反射して何処か儚げな光を魅せる。
彼の手首が傾いていく。薄く透明な硝子の容器に、缶の中身が注がれていく。
微粒子の泡が底から湧き上がっては、ふつふつと消えていった。
喉を通せば焼け付くような清涼感。先程の紫煙と似ているような、違うような。
食道を通り胃の中へと滑り込んでいく液体が、痛いほど清々しかった。
ぼんやりと彼が炭酸を飲み干す様子を見遣る。細い喉に走る、夕焼け色。

  なんだったろう。何処かで見たような気がする。
    思い出せない。何かを忘れているような気がする。



「          」

聞こえない。聴こえない。
あれ程に耳に心地よく響く君の声が。



さらさらと沙漠の砂のように指から滑り落ちていく意識。
浮遊感と共にシーツの海へと堕ちて逝く。
人形のようにだらりとした肢体。
糸繰りの仮面は破られてそこには般若の笑みが浮かぶ。

ぱたり、ぽたりと雫が落ちていく。
それが何なのか解らない。
何のための涙なのかも知らない。



鉄錆の味。

澱んで沈殿した緑柱石。

僕の慟哭。



蜂が飛ぶような耳鳴りが、煩い程に鳴り響いていた。










真っ白な浴槽に、一筋の紅が流れては消えていく。
赤は本流を紡いで大河となる。

眩しいほどの、朱が。
茜色が、流れては消えていった。










いっそ が  ければ、
   世界はきっと しい世界に。







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