―それは、本の中のとある日のお話。
「誕生日?」
その言葉はその場に居る全員が同時に発したものだった。
キャメロット城の大広間、パチパチと控えめに炎が爆ぜる音を奏でながら静謐な雰囲気を漂わせるそこには数人の影があった。
めいめいの特徴的な甲冑を纏った円卓の騎士たちは最初にその話題を引き出した菫色の長い髪を後ろにひとつに束ねた少女に仔細を問いかけるように視線を向ける。
大きな透明度の高い宝石を錫杖の先に嵌め込んだ杖を抱いたその少女はコクリと一度僅かに頷いた後、ほんのりと薔薇色に染まった唇を開いた。
「本日はソニック殿の誕生日らしいのです。ご友人の方が言っていたので間違いはないと思うのですが。
折角こちらにいらしてくださっているのですし、どうせならささやかながら祝賀会でもと思いまして」
手伝っていただけないでしょうかと小首を傾げる少女の仕草は計算しつくされた可憐さを持っていた。
他の誰でもない自分たちの王の誕生日なのだから、騎士たちにその申し出を断る理由は何一つ無かった。
「それで、俺たちは何をすればいいんだ?」
出来ることなら何でも言ってくれと頼もしい言葉を少女に掛けたのは赤胴色の甲冑に身を包んだ赤の戦士、ガヴェインだった。
真っ直ぐな心根を持った彼のことだから、言葉そのものを受け取ったのかもしれない。その申し出に少女は笑みを浮かべて大広間に置かれた卓の上に広げられた地図を細い指で指し示す。
「ガヴェイン卿には食材の調達を頼めますか?
キャメロットの中でも十二分に揃うとは思うのですが各地の特産品も組み合わせればご馳走になると思うのです。
どこで何を調達するかは卿にお任せしますので、お願いいたします」
「おう!任せとけ!」
ニカッと人懐こい笑みを浮かべてからガヴェインは踵を返して大広間を後にする。
鼻歌交じりに出て行ったのを見る限りは何か食べさせたいものがあるのかもしれない。
「私は何を?」
次に申し出たのはラベンダー色の体色、細く美しい装飾を施されたレイピアを腰に穿いたパーシヴァルだった。
白銀の甲冑に身を包んだ彼女の姿は女が見ても格好良いと形容されるもので、城の外のうら若き乙女がその姿を見ればため息を零すのだろうと予想される精悍さをも持ち合わせていた。
柔らかな金色の瞳が真っ直ぐに少女に向けられる。にこりと微笑を浮かべた少女はつい、と指先をコルドロンの方角に差し向けた。
「パーシヴァル卿には酒の調達を頼みたいのです。卿はコルドロンに滞在していた期間が長かったのでご存知とは思うのですが、あそこには良質な火酒があります。
シュトラウディッツフォレストでのワインでも良いかと思ったのですが、ソニック殿はそこまで酒を好まれる質ではありませんし、少し嗜む程度ならそちらのほうが良いかと思いまして」
「よし、では私は一樽程調達してくれば良いのかな?」
「よろしくお願いします」
ある程度の説明を聞いた後、パーシヴァルは緩やかな仕草でもって大広間から退出した。残る騎士は一人、この国最強と謳われる漆黒の騎士、ランスロットである。
「それで、僕は?」
「ランスロット卿にはソニック殿を探してきて頂きたいのです」
「は?」
少女の唇から漏らされた願いが意外なものであったのか、ランスロットからは少し間の抜けた問いかけの言葉が漏れ出でた。申し訳なさそうにみるみる少女の表情が曇っていく。
「実は……朝からソニック殿の姿が見えないのです。
ゲートが開いた形跡も無かったのでこの世界からあちらへ帰っているということはなさそうなのですが、わたしには何処へ行ったのか検討もつかなくて……」
ランスロット卿ならばどこか心当たりがあるのではないかとお願いしたいのです、と言われてしまえばそれを断る言葉が彼の喉から出てくる筈もなく。
小さな嘆息と共にランスロットの口からは了承の意が零され、彼もまた大広間から駆けていくこととなったのだった。
ランスロットがたどり着いたのはさわさわと風が心地よく吹き抜けていく新緑の若草が生い茂った小高い丘の上だった。
城を抜け出してはここが気に入ったのだと何度かソニックが呟いていたのを思い出したからである。
自分以外にそこに足を踏み入れた者を見かけない故に恐らくこの場所ではないかと踏んで駆けてきたのだが、どうやらそれは正解のようだった。
頬を撫でるかのように優しく触れては遠く離れていく風が彼の空色の針を揺らして僅かに若草の中から覗いていた。
「……こちらにいらっしゃったのですか、我が君」
ぽつりとランスロットが聞こえているのか判別のつかない声音で言葉を紡げば、掛けられた相手はぴくりと反応を示した。勢いよく起きあがり視線をランスロットへと向ける。
くるりと回った視線がランスロットの金紅の眼を射抜いた。強い輝きを示すエメラルド色の瞳が一瞬崩れてしまいそうな煌めきを見せたと思った瞬間、
それは気のせいだといわんばかりにソニックの表情に普段と変わらない笑顔が戻った。
「なんだ、捜してくれてたのかー?」
「マリーナが、本日は我が君の誕生日だと」
「あー……まあ、そうなんだけどさ」
あんまり祝われるの得意じゃないんだよな、と小さく愚痴にも似た言葉を吐きながらソニックは体を起こして傍らに置いていた剣を手に取る。
何の変哲もないと思われていたそれの柄に近い部分にぱちり、と眼が開いた。
「む、なんだ今日はお前の生まれた日なのか?
それならば盛大に祝わなければな!」
「いーって!
べつにそんなに大層なもんじゃないだろ」
誰にでもあるものなんだし、とソニックが苦笑混じりに剣へと声を掛ければ、国の主の誕生日なのだからしっかりと式典に乗っ取ってやるべきだと剣は返す。
すごく嫌そうな表情を浮かべたのを目の当たりにしたランスロットは、慌てたように言葉を唇に乗せた。
「い、いえそこまで大仰にするつもりはなく……!
マリーナも、ささやかに数人で、と言っておりましたので」
食料の調達等を済ませて城のバルコニーでやるつもりだそうだ、という旨をランスロットの口から伝えられたソニックは、少々安堵の笑みを浮かべた。
それにつられるようにランスロットも薄い笑みを浮かべる。今から戻れば食事に間に合いますと言って、先導するように駆けた。
王宮内のそこまで広くないバルコニー。白く細やかな装飾が施されたテーブルに並ぶのは繊細かつ舌を感動させる料理達だった。
たしなみ程度に交わされる酒の杯は喉を焼くようなアルコールの熱が通過したと思えば心地よい酩酊感を与えてくれる。
ささやかに、密やかに数人で行われる誕生会の主役の姿が見えないことに気づいたランスロットはくるりとバルコニー全体を見回した。
と、隅に見える空色に気づきそっと足を進める。バルコニーの手すりに杯を置きながらぼんやりと外を眺めるソニックの姿は普段を考えるならある種異様だった。
「……どうされましたか」
「ああ、ランスロットか。
……いや、祝われるのは嬉しいけど、こう、やっぱりなんか場違いな気がしてさ」
苦笑を浮かべながらそう答えるソニックの緑柱石色の瞳は、どこか遠くの何かを見ているかのようで。
今にも消えてしまいそうな気がして、ランスロットは思わずその細い腕を掴んでしまった。
「……どうした?」
「……いえ、なんでもありません」
「なんでもなかったら、そんなカオ、しないだろ」
そういうソニックの瞳に映るランスロットの表情は、今にも泣き出してしまいそうな苦痛を孕んで口を引き結んだそんな顔で。
苦し紛れに口元に笑みを浮かべようとするが、結局は歪なそれにしかならなかった。
「…………我が君。貴方がどこの誰でも、どんな者でも、この国の王であることに代わりはありません。
ですから、僕は。……この命果てるまで、貴方にお仕えするつもりです」
彼だからこそ王足り得るのだということは本能で理解している。その言葉を聴いたソニックは、少し意外そうな顔をしてから、ニッカリと普段のような笑みを浮かべた。
「辛気臭い話して悪かったな!
さ、戻ろうぜ?」
そういいながら中央へと戻るソニックの後姿を、ランスロットは決意を抱いた瞳でただ眺めた後追いかけるように続いていった。
貴方が何を抱いているのか、その片鱗すら自分では理解できないのかもしれないけれど。
僕のこの存在意義は、総て貴方のその手の中へ。
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